2009年 11月 18日
思い出
会社移転とともに5年間、通い慣れたプラハの南側にある小さなこの町ともお別れ。
小さな商店街(?)があり、天気のいい日の休憩時間にプラプラ。
ギフト屋さん・・・自然食や癒し系グッズなんかも置いてあり、英語のできないお店のオバサンがチェコ語のできない私にパワーストーンの効き目を一つずつ手振り身振りで教えてくれました。
小さな八百屋さん・・・たまにしか買いに行きませんでしたが、少しでも買い物をするとお店のニコニコお兄さんが、イチゴ1粒やらチョコレートやらと小さなおまけをプレゼントしてくれました。
パン屋さん・・・最初の1年は、ほぼ毎日のように同僚のMちゃんと通いました。チェコのパン屋は、ガラスケースに入っていてパンの名前を言って買わなければいけないので、チェコ語ができない私は、もたもたするばかりでしたが、、、やさしいオバサンが一人いて、その人に当たるとホッとしたものです。
Mちゃんは、一緒に働いているときは英語ができませんでしたが、2年間イギリスに行き、今では私なんかよりぺ-ラペーラ、、、今でも時々、会ったときにMちゃん「あの頃は、お互いの言葉が分からなかったのに、私たち仲良しだったね」って、、、。
小さな商店街(?)があり、天気のいい日の休憩時間にプラプラ。
ギフト屋さん・・・自然食や癒し系グッズなんかも置いてあり、英語のできないお店のオバサンがチェコ語のできない私にパワーストーンの効き目を一つずつ手振り身振りで教えてくれました。
小さな八百屋さん・・・たまにしか買いに行きませんでしたが、少しでも買い物をするとお店のニコニコお兄さんが、イチゴ1粒やらチョコレートやらと小さなおまけをプレゼントしてくれました。
パン屋さん・・・最初の1年は、ほぼ毎日のように同僚のMちゃんと通いました。チェコのパン屋は、ガラスケースに入っていてパンの名前を言って買わなければいけないので、チェコ語ができない私は、もたもたするばかりでしたが、、、やさしいオバサンが一人いて、その人に当たるとホッとしたものです。
Mちゃんは、一緒に働いているときは英語ができませんでしたが、2年間イギリスに行き、今では私なんかよりぺ-ラペーラ、、、今でも時々、会ったときにMちゃん「あの頃は、お互いの言葉が分からなかったのに、私たち仲良しだったね」って、、、。
by wmoon64
| 2009-11-18 01:00
| 暮らし・つぶやき